2009年11月29日日曜日

おひょひょ


もう少しで、こちらに来て1年になる。
どんどん、変わっていいのだ。変わらないものなどないのだ。
今目の前にある事、私の周りにある事が、私を育てている。
十分感謝をしてるかな。そして自分を大切にしてるかな。
美しくあろうとしてるかな。
とげも含みも批判も、ぜんぜん要らないのだ。必要ないのだ。
そのままで生きていけるよ。そう信じて笑っていくのだ。


2009年10月17日土曜日

きらいだきらいだ は もうたくさん


友達と話していて、気づいてしまった。
私は文句を言いたいだけなんだって。イタリア人はさ、とか、イタリア人と仲良くするの、もう疲れてしまったとか、何かにつけて自分に自信が無いのをイタリアのせいにしていた。

かっこわる。

イタリア人の友達に、「外国に住むのは大変だ」と愚痴をこぼして何になるというのだろう?
そう口に出した自分に驚いたし、がっかりもした。

そんなの百も承知だったでしょう?
いや、大変かどうか想像する暇さえ無かった。

親切にしてくれる人たちに、イタリアのネガティブな面を言うのって失礼だし、悲しい事だと思った。

支離滅裂な愚痴。結局は欲求不満な事を、人のせいにするなんて。

大学の近くに、グランドピアノが置いてあるイベントハウスがある。
一時間5ユーロを3ユーロにまけてもらって、気分に任せて弾く。

こんな時は、過去に頑張った自分のテクニックに頼っている気さえしてきて、弾いても落ち着かなくて、間違えてばかり。

それでも、その近くに住んでいる友達が私のピアノを聞きつけて、やってきて、後ろを振り向いたらソファに座って聞いてくれている事に、救われた。

大学で、そんなに英語をやったつもりは無いのに(4年間みっちりかけたとは言えない)、
未だに英語の方が抵抗が無い事に悲しくもなる。

家にこもって、猫のお腹をなでている場合ではないのです。

お金を払って、ここに来て、授業が100パーセント分からない悔しさ。

それでも、本質を学べて、良かったと思う。
美味しいものをたくさん口に入れるだけじゃなくて、食べ物について考えられて良かった。

疑ってかかったら、誰が私を信じてくれるというのだろう?

私が今まで本当を言おうとして、関係を続けてきたたくさんの友達、
それはここだって出来るはず。


kaouruは自分を下に見すぎる、と言われた。

時々頭をよぎる、"dai, su, su!"という友達から言われた言葉。ほらほら、落ち込まない、(直訳だと、上、上!)
と。

日々を大切に生きるしか無いのです。
確実に減っていくここでの滞在日数。

根っこをはるよ。





2009年10月1日木曜日

10月



になってしまった!早いなあ。
イタリアに腰を据えるつもりだったのに、気づいたらイタリアにいない事の方が多い。
これじゃあ、旅をするためにヨーロッパに来たみたいじゃないか。
去年の今頃はすごく焦っていて、ねずみと戦いながら吉祥寺にいたのに、今はあぐらを書いている気がする、今ここにいるという事に。

久しぶりに戻ったボローニャは、思いのほか落ち着いて、綺麗で、愛着がわいていた事に驚く。
どこか、冷めた目を持つようになった事は確かだけど。

日本人の友達と話したり、日本語のメールを打ち続けるだけで、モードが日本語へと切り替わる。突如、イタリア語の会話が滞る。

目指してきたものより、入ってくるものが面白い。
でも、中に持っていたものは、無くしちゃいけないように持っていなくちゃいけない。

どんどん綺麗なものを入れて、見て、じゃあ自分を肥やしているかと言うとそうでもないんだな。
うん、切り替え時です。




2009年6月9日火曜日

love, sex, money

money、と続くだけで、何だかsexが秘め事のような感じを受ける。面白い。
love とsexは違うのか?とか、love, sex, kissだったら何かの標語かロゴになりそうだ。

この3単語は、バス停で見かけたおばさんのTシャツに書いてあったのだ。
目をぱちくりしてしまったよ。分かって着ているんだろうか...とドキドキもした。
英語が母国語の人は、英語が書いてあるTシャツを着るのだろうか。
というのも、イタリア、日本語大流行り。
かわいそうに、タトゥーで間違っているものたくさん!
この間、バスで、30代の男の人の腕に、「同性恋」とデカデカと彫ってあった。
意味伝わるけど。。。でも、「恋」だと報われなくて悲しんじゃ?
更に、女の子のふくらはぎに、「のみ」と書いてあった。
多分名前を彫りたかったんだろうな。「ノエミ」だったのかな。のみ、ってあんまりだ。

今日道を歩いている男の子のTシャツには、「福平」とあった。
すごいめでたい感じ。


さらにさらに、おしゃれな感じのお店のショーウィンドウにはマネキンがポーズをとってる。
1、「百蔵」
2、「弧客」
3、「狂う」
とそれぞれTシャツに書いてある。
ちなみに、弧客ってコカク、と読み、連れのない旅人、という意味だって知ってました?
私は初めて知りました。そのコカクの意味付けに、喜び、と書いてあるのだけど(伊gioia=pleasure )何だかもうわからんちん。

言葉は目につくだけで意味をもたらすから、すごいと思う。
あ、それに意味を付与した人間がすごいのか。

では、では、ね。

イタリアってすごい

何がすごいって、イタリア人。
今日バスに乗ったら、なんとバスの運転手さんがどこを走るか知らなかった。
「いやあ、この路線を担当するのは1年半ぶりだからさ、はは」って。はは、って...
それで、いつもこの路線を担当する乗客に道を聞きながらの運転。
角に着く度、「右?」「左?」と大声で叫び、
そのたび、後ろから「右右!次左!」と言葉が飛ぶ。

そのうち、待ってました(人の役に立てる)とばかり(もしくはおしゃべりがしたい)に
おばちゃんが運転主席の近くまで行き、案内をする。

みんな、しょうがないなあという顔だけど、
そのしょうがないなあ は日本とはちょっと違う。
というか日本なら考えられない。
責任問題とか会社の体質の悪さとか、「深刻になって」非難になると思う。
しかしここの「しょうがないなあ」は、「自分でも同じことをするだろう」という認識からきていると思う。
自分にも甘いけど、人にも甘い。

月曜日の午前中は日曜日に引き続き休みの店が多いのだけど、それって、「そんな月曜日の朝っぱらから働けるかよ」という気持ちからきているのではないかと踏んでいるのだけど、
どうでしょう。=、日曜日は飲んだんだぜー、月曜日はゆっくり起きたいよ、と。

私の知っているイタリア人で、公私混同のイタリア人のやり方が好きじゃないという人がいたなあ。
どこでも、仕事中でも、自分の携帯を優先する。

実はパソコンが壊れて、泣く泣く(買った後はほくほく)パソコンを買いにいったのだけれども、説明をしている途中でも、携帯を受け、なかなか話が終わらない。
相手がなかなか切らないことにイライラしているそぶりは見せても、絶対につっけんどんにしない。相手を案外たてる文化なのかもしれない。

もう一つ驚き。
スーパーに行って、閉店8時ぎりぎりで、レジに並んだ。
レジの店員さん(私がすごく好きなおばさん)が、レジを打っている途中、何かを落として、レジ台の下の方に転がった。それを見た同僚の一人が拾おうとしたら、
「いいのいいの、明日の朝拾うわよ」
!!!!
かがめば!かがめば取れるのに!
すごい。。。驚嘆。

イタリアってすごい、編。


2009年5月22日金曜日

イタリアにいる

ただいま、ボローニャのマッジョーレ広場という一番大きな広場でこれを書いています。
何でかって?家では居間でしかネットがつながらず、今同居人の家族がボローニャに来ているため、
居間でのんびりかけないからです。
ボローニャでは、登録をすると無料でワイヤレスが使える。ここ、マッジョーレ広場と図書館で。
夜の帳が下りる頃、皆がアペリティーボに出かける時間、仕事が終わった時間、
ここにいるのが私はとても好き。
鳥がぐるぐる回って、教会の壁が太陽で照らされて。
そうして今、広場でストリートミュージシャンが歌を歌っています。"it's all right, it's all right it's....."
なんだかぐっとくる。

時々、バスに乗ってるとき、ここでボーっとしているとき、ああ、私イタリア(ヨーロッパ)にいるんだなあってふと思う。
それってすごいことなのに、ここまでネットの力で日本と心はつながっているのに、
私はここで生活をしている。
食べて、寝て。

そういえば、このあいだ寿司パーティーをした。する前から、大変だろうな~と思っていたら、
本当にやっぱり大変だった。
20人にふるまったのよ!
マグロのづけと、サーモンと、甘エビ。
ちゃんと新鮮であれば怖くないって知りました。

そうして、今回は焼き餃子も。皆に包むのを手伝ってもらったのだけど、
目を放した隙、よくあるミートパイ(半月型)のかたちがどんどんと作られ、「ああ・・・」という感じ。

今回分かったこと。私は料理をするとき集中するから、一人でいたほうがいいという事。
でもそれとは全然別に、皆で海苔巻をまいて、というのはとても楽しかった。
しかし皆が協力的!すてき!なわけではないのです。
なぜ?
イタリアだから。

皆、手伝うよ~と言って、時間通りには来ず、ちょっと手伝って、手伝ったからいいでしょ、と
すぐに煙草かお酒を飲みに行ってしまう。それでもわざと、じゃなくてそうしたいから。
それが分かるから、憎めない。
しょうがないなあって感じ。

あんなに作った(6.5合分)お寿司はものの見事に、10分で無くなった。
おいしいおいしいと喜ばれること、それが一番。
そうすると私は「本当はもっと美味しいの、今度作ってあげる」と言ってしまう。
もう2度とするもんかと思っているのとは別に、びし、かりっとした焼き餃子を食べさせたいと思う。

どこまで解き放てるでしょう?期待を。
来たものを、受け取っているかな、ちゃんと。
見逃してないかな、目の前にあるものを。

今私の前に何があるって?


熱烈にキスするカップルです。

2009年5月5日火曜日

Genova!

長靴のひざ小僧の下らへん、ジェノヴァに行ってきました!(③のところ)


海、海、海!
ジェノバは、港町だけあってとても開いている感じがした。
空気も流れている、そんな感じ。
ボローニャは内陸だけれど、それ以上に、若い人がぎゅーっと集まっているので、
中には開いているけれど、ちょっと窮屈な感じもする というのが私の印象。
しかししかし、料理は断然ボローニャだなあ。
リグーリア州は海に面しているために、南イタリアと料理が似ていると聞いていたけれど、
やはり北だからか、少しおとなしい。丁寧、というか、小ぎれいにまとまっている感じ。


ファリナータという、ひよこ豆でつくられたスナック、フォカッチャ、チマ(牛の胸肉を開いて、
中にゆで卵やチーズを詰め、煮たもの。薄切りにして食べる)を食べたけど、
どれも、「うん、美味しい、かな」という感じ。

そこで気づいたのが、
私は南の、もっとがつんとしてて、食べることに貪欲で、「ああ、今、今食べないとダメだよ~!」
というエネルギーがすきなのだと気づいた。

ごはんは人間に食べられるものではなくて、
人間と同じくらいのエネルギーを発しているもの。そりゃそうだ、人の手が加わり、何より命だったのだもの。

2日目の夜、美味しいものが食べたい!と、トラットリア(大衆食堂)に入ることにした。折角海に来たのだから、と、前菜に海の幸盛り合わせと、プリモ(一番目の皿:スープ、パスタ、リゾット等)(イタリア料理は、前菜・プリモ・セコンド・フルーツ・ドルチェ・エスプレッソがフルコースとなっている)
を頼んだ。


けど、スパゲッティが本当に、本当に洗面器くらいの大きさの鍋で登場し、「うーん、おなか一杯」ではなくて、生命の危機を感じました。

ボローニャに帰る途中、乗換えでパルマに寄ったのだけれど、宅配もやっているピザ屋さんにも、
パルマのハムがどうどうと飾ってあって、そういうところがとてもイタリアらしい。きちんとしたものを使う、自分たちが美味しいと思うものを使う。

散々ネガティブな事をいい、もうたくさん、というくらい泣いて、友達から嬉しいメールをもらって、さあじゃあ歩いていけるかな、と思えるようになった。



そうなのだ、気づくと深刻になっているけれど、好きだと思える人に出会えただけご褒美みたいなものなのだ。

明日から学校です。












2009年5月2日土曜日

つまりは

どんな顔をしていけばよいのか分からなかったフェスタで、
生まれて初めて気持ちが悪くなるまで飲み(日本酒はいけるんだけどなー)、知り合ったばかりの友達の家に泊めてもらい、その友達に指を喉に突っ込んで吐くやり方をトイレで伝授され、気づいたらトイレで寝ていて、挙句の果てにトイレのドアが開かないと思って(実は既に開いていた)、やたらに重いドアを思い切り押したらそれはトイレのドアの隣にあったクローゼットだった。
ものすごい音を立ててクローゼットの中身がぶちまけられた午前3時。
友達が「何してるの~?!!」と起きてきた。

ああ、穴があったら入りたい。

「私多分完全に酔っ払ってるんだと思う」と言うと、
その情け深い友達が「私にもそう見える」と。

ああ、本当に恥ずかしい。

私は嫉妬してたんだ。
まだ22歳で、5ヶ国語が話せて、美人で、フランス人の女の子。
25歳だけど、栄養士として働いている(これまた美人の)、カナダ人の女の子。

これで2人がですね、例えばとても意地悪だったとかなら、テレビドラマになりそうだが、
これまた素敵なんだな~だから悲しいんだなあ。
語学のコンプレックスと、仕事へのコンプレックス。
そして容姿。

極端にない自信と、だからこそ生まれるプライド。

知ってる、じゃあなにをしなくちゃいけないか。


4月は、何だか泣いてばかりだった。

過去の傷はずきずき疼くけど、
良かった、とラベルを貼って、
ぱたんとふたを閉めたいの。

もっと遠くへ。私の中を耕しながら。

2009年4月26日日曜日

ごはんだよ

ちょっとだけ好き、と思っていたら実はぞっこん惚れていた相手が、フランスに帰ってしまうと知ったその日、自分を元気にしたくて、というより気づいたらそれを欲してつくったご飯。の写真ではなく、

そのご飯を食べる準備が出来ている猫。

ごはんを炊いて、人参キャベツジャガイモ入りの味噌汁、具だけ余って冷凍しておいた餃子用のひき肉となすのオイスター炒め。

そうして今日、夜に会うのが最後なんです。

お昼につくったのは、アスパラガスの卵のフリット、ルームメイトが味見用に分けてくれた牛肉とグラノパダーノチーズ、ルコッラの炒め物(バルサミコ酢で食べる)、お好み焼き。(パン、オリーブ、チーズ)

ルームメイトの前で泣き、友達のメールを読んで泣き、猫に顔をうずめて泣き。

あれれ、私ちゃんと好きだったみたいよ。

いつでもいつでも別れは胸が痛くて、でも笑っていたいんです。

出来るかな?やらなくちゃね。

2009年4月6日月曜日

パルミッジャーノ!レッジャーノ!

家にある雪印のS&Bの?粉状のパルメザンチーズは好きじゃなかった。
しかしだな~違うんだな!本当は美味しいんだな!


パルミジャーノ工場に見学に行きました。

パルミジャーノは、ここエミリアロマーニャの、パルマ・モデナ・ボローニャ・マントバ・あともう一つの区域でしか作ってはならないことになっているチーズです。

前日の夕方に絞ったお乳(乳脂肪分のクリームを除いたもの)と、朝に絞ったお乳を混ぜて作ります。


これは成型して、塩水につけている状態。ここで彼らは2~3日を

過ごします。 出来立てのチーズは豆腐のようでした。 日本に入って
くる80%はまがいものか、二等品を粉状にしてしまうとのこと。
後日動画をupします。


おたんじょうび

パーティーをした。行きつけの魚屋さんがある友達に予約をしてもらって、土曜日の朝早く、

昨日飲んで3時頃に眠ったというのに、チェントロにある魚屋に向かう。



マグロと甘エビ(らしきもの)を買う。サク形に切って、とお願いしようと思ったけど、

自分でやろうと思ってそのまま「塊の」マグロを購入。



8時からパーティーと言ったのに、7:40の時点でほとんど出来ていない寿司。

このときばかりは遅れてくるイタリア人にすごく感謝した。



ネットで「マグロのサクどり」を検索し、考えが甘かったことを知る。

ごめんなさい、寿司職人さん。そのままつまんでみると血の味が。



「お家で簡単に寿司」というのは、サクの状態でスーパーに売られている日本だからこそ出来た、

と初めて知った。



結局、細かく刻んで巻き寿司にした。

アボカドとすりみ、ツナマヨ、鉄火巻き、サーモンの手まり寿司、そして水餃子。



水餃子の皮をこねながら、「なんで~誕生日なのに~」と思いつつ、「誕生日は特別素敵に過ごさなくちゃいけない」と思ってる自分がいることが可笑しかった。



皆が食べて飲んで笑って、っていうのを見るのはいいな。

美味しいと言ってくれて、ハグをして、それで充分、満たされた。


2009年3月14日土曜日

名前のこと

この間、日本人の友達がスペイン人の友達を連れてはるばるボローニャまでやってきてくれた。
その時、挨拶の話になって、「そういえば日本では友達に会った時何て言うの?」と聞かれた。
考えてみると、私たち、友達同士では待ち合わせして、会った時、「こんにちは」は言わない。
「やっほー」も時に違う感じだし。
そうか、名前を呼び合うんだ。
日本では、公共の挨拶で店に入るときレジで支払うとき何も言わない。
だからこそ、名前を呼ぶって、特別な感じがするんだ。

同居人に、「昔日本では、女性の名前を知る=結婚する」ということだったのだ、と説明したら
心底驚いていた。

もう一つ、友達から聞いたこと。
「言葉は言ったそばから思いと違ってしまう。思いと言葉と音が一緒になるのはただ一つ、名前を呼ぶときだけ」と。
だから、せめて、思いをこめて名前を呼ぼう。

言語について。
こちらで、日本人が話すイタリア語は、私も含めて、"~,no?"と念押しする。
してしまう。それって、日本語が、共有・共感することを求めているからじゃないかと思う。
他人の許可を必要とする、と言ったらいいすぎだけど。
「私はこう思うのだけど、違う?そうじゃない?そうでしょう?」って。
こちらで面白いのは、例えば皆でバールでパニーニを食べたとき。
さあ出ようか、というときになって、「ちょっとちょっと、私はコーヒーを飲むのよ」となる。
日本だったら、「ごめん、ちょっと、出る前にコーヒー飲んでもいい?」となるけど、
「飲みたいから飲むのよ」であって、「まってて」でも「いい?」でもない。
さりとて「じゃあ先行くわ」と返しても、「あ、そう」、ちゃんちゃん。


全てを全て、一度には取れないのだ。
取ろうとするものではなく、起こるものならありえるけど。

どんな頭を持って、どんな顔で、誰に会おう?

2009年2月7日土曜日

節分パスタ

2月3日に、今日は節分だったと思い立ち、同居人に豆の在り処を聞く。

けど、無かったので、乾燥パスタで代用。

ちなみにパスタはペンネを使用。



同居人の部屋、私の部屋、お手洗い、居間、台所の窓と玄関を開け放ち、

窓からパスタを投げました。



ポイントは、「福は内」と言い忘れない事。

「おはーそとっ!」と、静かに、しかしきっぱりと叫ぶと、

ついすっきりした気分になって福は内、を忘れてしまう。



そのあと何故かこっそり「福は内」と手招きする。



台所から思い切りペンネを投げたら、勢い余って

窓のさんに当たって撥ね返る。

何でもないことなのに、夜中の行事が、しかもここイタリアで

やってることがおかしくて、同居人とげらげら笑う。

福がみんなの周りにふくふくと寄ってきますように。