この間、日本人の友達がスペイン人の友達を連れてはるばるボローニャまでやってきてくれた。
その時、挨拶の話になって、「そういえば日本では友達に会った時何て言うの?」と聞かれた。
考えてみると、私たち、友達同士では待ち合わせして、会った時、「こんにちは」は言わない。
「やっほー」も時に違う感じだし。
そうか、名前を呼び合うんだ。
日本では、公共の挨拶で店に入るときレジで支払うとき何も言わない。
だからこそ、名前を呼ぶって、特別な感じがするんだ。
同居人に、「昔日本では、女性の名前を知る=結婚する」ということだったのだ、と説明したら
心底驚いていた。
もう一つ、友達から聞いたこと。
「言葉は言ったそばから思いと違ってしまう。思いと言葉と音が一緒になるのはただ一つ、名前を呼ぶときだけ」と。
だから、せめて、思いをこめて名前を呼ぼう。
言語について。
こちらで、日本人が話すイタリア語は、私も含めて、"~,no?"と念押しする。
してしまう。それって、日本語が、共有・共感することを求めているからじゃないかと思う。
他人の許可を必要とする、と言ったらいいすぎだけど。
「私はこう思うのだけど、違う?そうじゃない?そうでしょう?」って。
こちらで面白いのは、例えば皆でバールでパニーニを食べたとき。
さあ出ようか、というときになって、「ちょっとちょっと、私はコーヒーを飲むのよ」となる。
日本だったら、「ごめん、ちょっと、出る前にコーヒー飲んでもいい?」となるけど、
「飲みたいから飲むのよ」であって、「まってて」でも「いい?」でもない。
さりとて「じゃあ先行くわ」と返しても、「あ、そう」、ちゃんちゃん。
全てを全て、一度には取れないのだ。
取ろうとするものではなく、起こるものならありえるけど。
どんな頭を持って、どんな顔で、誰に会おう?