2011年5月19日木曜日

5月のボローニャ





色んな事がありました。地震でしょう?泣き続けたマッサージ、家の変化、人付き合い。
嬉しい事といえば、ボローニャに居ると決めて1年ほど経ってやっと、一緒に時を過ごしたいと思う人たちが出来てきた事。
この人たちと居ると、何だか保育園で悪巧みを考えている子供のようだ、砂場で遊んでいるようだという錯覚に陥る。
人が人にしてあげられる最大のプレゼントは、自由じゃないか。
昨日、ジャズのコンサートを聴きにいった。音一音で、色んな事が浮かび上がる。この人はどんな人生を送ってきたのかな。ジャズは一曲一曲が長いから、今に酔いしれていた。
ほどよくお酒があって、好きな人たちが居て、今この瞬間しかない。最高だった。
明日は分からないよ?みんな違うよ?抱えているものも、経済状況も、国も違う。
でも気持ちいいを共有している。

猫がまた縁を結んでくれた。
今は、ただ、よい季節に、ゆれる葉っぱに、木漏れ日に、目を細めるだけ。









2011年4月6日水曜日

一つ歳を取って

もう、本当は貝のふたを閉じてしまいたかった。悲劇のヒロインになって、心を休めたかった。もう何ヶ月も行っていない田舎の知り合いの家でのんびりしたかった。
それが、私の住んでいるボローニャで、日本人有志による大きなチャリティイベントがあると知って、参加するかしまいかちょっと躊躇した。
「私たちはかわいそうなんです」という感覚に陥りたくなかったし、かつほとんどこちらで求めていなかった日本人コミュニティに入るのも億劫だった。つまりは、自分のしたい事を優先したかったのだ。

でも、色んな人から、「こんなイベントあるけど、知ってる?」と誘われ、終いにはバイオリン職人の友達から「僕たち何か出来ないかな?」と電話が来て、重い腰を上げたのだった。

全部は私のエゴだったと後で分かった。
私たちかわいそうなんですなんて思ってる人はほぼ皆無だったし、皆(こんなにボローニャに日本人が居たのかと思うほど)日本人のこのオーガナイゼーションの良さを発揮してぱりぱりと働いていた。みんな、出来る事をそれぞれが。
私はほとんどキッチンに居て、ひたすらサーモンをそぎ切りしていた。たくさんの有名なレストランが自費で素材を提供してくれ、だから私たちは来て頂いたお客さんからのお金を全て、赤十字に回せた。150人分の、手まり寿司、軍艦、キッシュ、千枚漬け、などなど。

イベントは、習字や千羽鶴(イタリア人に折ってもらって、彼らのコメント付きで募金と共に日本へ送る)、バザー、オカリナの演奏、イタリア人の剣道団体による披露等盛りだくさん。

午後にはその友達とデュエットでバイオリンを弾いた。人の前で音楽を弾くなんて、何年もしていなかった事。音楽を介して、人とつながれる事を、忘れていた。

私の、一人になってゆっくりしたいというそんな思いを吹き飛ばすほどに、人の力が集まって、そこに少しでも関われた事を嬉しく思う。

最後の最後に、日本人全員で、来て頂いたお客さんの前で「夏の思い出」を歌った。一人が泣き出し、皆がぐすぐす言い出し、最後の方はもう声にならなかった。
遠くて、もどかしくて、色んな思いが詰まった歌。








自分が大切に思っている人が、必ずしも相手もそうとは限らない。悲しいけれど。
それでも、人は思う事をやめないし、それは根本的に人が希望を見るように出来ているのだと思う。
父母から連絡があった。久しぶりに明るい声で、ガスが復旧したと。やっとシャワーが出来ると。
そうやって、進んでいく。

一つ年を重ねて、まずここまで無事に生きてこられた事を、感謝した。
出会ってくれた人に。
これから出会っていく人に。

とても重く、苦しい中で、感謝をする事が出来ると教えてくれたのはさらに苦境に居る大切な人だった。

やっぱり、思ったようにしか出来ないんだわん。伝えよう、大切な事は。
あなたのことを思っていると、私にとってあなたは大切だと。

胸を暖めて、春の風には自然に顔が緩むように、大切なものを大切にして。



2011年2月20日日曜日

桜肉


ほぼ初対面の友達達と軽く一杯飲んで、お家に帰ったら、同居人がご飯の準備をしていた。同郷の友達が地元のチーズ、その同居人のお母さんが彼らに預けたタルトなどなどを広げ始め、私もお相伴に与ることに。
軽く一杯飲んだ時に、これでご飯を済ませちゃえとビュッフェのカナッペなどを盛りだくさん食べていたので(こちらは500円ほどで一杯プラス食べ放題のhappy hour time サービスがたくさんある)、私のお腹は既に7分目。

人にご飯を薦められる時というのは特別な感じがする。そこで断ったら食べ物を勉強しているものとして悔しいので、むりむり食べた。馬のステーキ!

むりむりはあんまり良くないけど、一緒に何かを食べる事でしか生まれない何かがあって、かつそれが彼らのアイデンティティに属すものなら(この場合はモッツァレラ、南ではあまり馬は食べない)それは尚更だ。

それを受け取るという事。


本当は知っている、最初から分かってることってたくさんある。誰と居ると居心地がいいか、何をしていたいか。
幸せになるのが怖い?
普通に、行きましょう。

おばあちゃんの誕生日、最近は本当に稀にしか手紙を書かないけれど、今日は電話をした。
なかなかお互い切りづらくて、ずっと「ありがとね、またね」のやりとりが続いて。

私はここで、誰とであって何をして。頭が決めるほど、世界は小さくない。


それでは、またね。




2011年1月29日土曜日

宴の後で

このブログ、もはや失恋日記と化している。湿っぽい!いや、これは失恋なのか?違うな。人との別れはいつも辛い。また会えるって知っていても、ここにいないこと の事実に打ちのめされる。
私は何でいつも涙が出るまで気付かないんだろう、自分の気持ちに。
なんで最後の最後になるまで自分の気持ちを肯定しないんだろう。
ばかみたい。

やるべきことはたくさんあって、一つの事に向かう心は一つしかなくて。
たくさんのキスを自分に、周りに、
ふー。へいあんをとりもどさなくちゃ。

2011年1月15日土曜日

フランスとイタリアの間

信じていたものがボロボロと崩れていった
信頼って何だろう
倫理って何だろう
私はそういうことを人にして来たのかな

周りで花咲く色んなことに共感出来なくなるなんて思いもしなかった

こんなところで止まっている場合ではないのに

こんなにたくさんの人がいてそれぞれ自分の人生に一生懸命で
私はまだまだ会わなくちゃいけない人がいる

お正月に出会ったある人はこんな人世の中にいるんだと思うくらい
親切で
イタリア人とか国籍とか関係ないなと思った

と同時に
分かっていたつもりのイタリア人が全然分からなくなるときがある
イタリア人の友達がすごく遠くに感じる事がある

誠実であるって何だろう
私はどんな事を人にしているのだろう
怖くなる

2010年に立てた目標が全然達成出来てなくて
自分の心に100パーセントしっくりこないものは
起こりえないかもしれない

居心地が悪いのにがんばることない
仕事とか家庭環境とかやむを得ない場合を除いて

100パーセント自由意志に任せられているなら
私はいたい所にいる

全然まとまってないけどよしもとばななの
『海のふた』の一節を思い出した
... ただ生まれて死んでいくまでの間を、気持ちよく、おてんとうさまに恥ずかしくなく、石の裏にも、木の陰にも宿っている精霊たちの言葉を聞くことができるような自分でいること。この世が作った美しいものを、まっすぐな目で見つめたまま、目をそらすようなことに手を染めず、死ぬことができるように暮らすだけのこと。

イタリア人のいい加減さ、好きな振りをしていたけれど、そぐわない部分があるのも当たり前なんだ。
好きな部分もあるけど、去年はもっとシビアに批判していて、自分が苦しくなっていた。
今年は鷹揚に見ていてかえって自分にも甘くなったんじゃないかな。
私前からそんなんだったかな。

誰かの何かを無かったことにしてないかな
誰かの何かを踏みにじってないかな

感受性が久しぶりにびんびんだ。

なかったことにして目をつぶって、本当は嫌で、そのつもりつもったものが。

清く正しく生きることなんてかっこわるい、みたいな、ぐれるのがかっこいいと思っている中学生みたいだ。
私はその箱から出られないし、その箱をもって生きるのだろう。
指針として。
自分の心がよしとするものを、ごまかさないで見つめないと。

会いたい人はみんな遠くにいるよ
でも私はそれを選んだんでしょう?
それは近くを耕すことをおろそかにしているから?

ぐちゃぐちゃだ、もう寝よう。

おやすみなさい、良い夜を。