信頼って何だろう
倫理って何だろう
私はそういうことを人にして来たのかな
周りで花咲く色んなことに共感出来なくなるなんて思いもしなかった
こんなところで止まっている場合ではないのに
こんなにたくさんの人がいてそれぞれ自分の人生に一生懸命で
私はまだまだ会わなくちゃいけない人がいる
お正月に出会ったある人はこんな人世の中にいるんだと思うくらい
親切で
イタリア人とか国籍とか関係ないなと思った
と同時に
分かっていたつもりのイタリア人が全然分からなくなるときがある
イタリア人の友達がすごく遠くに感じる事がある
誠実であるって何だろう
私はどんな事を人にしているのだろう
怖くなる
2010年に立てた目標が全然達成出来てなくて
自分の心に100パーセントしっくりこないものは
起こりえないかもしれない
居心地が悪いのにがんばることない
仕事とか家庭環境とかやむを得ない場合を除いて
100パーセント自由意志に任せられているなら
私はいたい所にいる
全然まとまってないけどよしもとばななの
『海のふた』の一節を思い出した
... ただ生まれて死んでいくまでの間を、気持ちよく、おてんとうさまに恥ずかしくなく、石の裏にも、木の陰にも宿っている精霊たちの言葉を聞くことができるような自分でいること。この世が作った美しいものを、まっすぐな目で見つめたまま、目をそらすようなことに手を染めず、死ぬことができるように暮らすだけのこと。
イタリア人のいい加減さ、好きな振りをしていたけれど、そぐわない部分があるのも当たり前なんだ。
好きな部分もあるけど、去年はもっとシビアに批判していて、自分が苦しくなっていた。
今年は鷹揚に見ていてかえって自分にも甘くなったんじゃないかな。
私前からそんなんだったかな。
誰かの何かを無かったことにしてないかな
誰かの何かを踏みにじってないかな
感受性が久しぶりにびんびんだ。
なかったことにして目をつぶって、本当は嫌で、そのつもりつもったものが。
清く正しく生きることなんてかっこわるい、みたいな、ぐれるのがかっこいいと思っている中学生みたいだ。
私はその箱から出られないし、その箱をもって生きるのだろう。
指針として。
自分の心がよしとするものを、ごまかさないで見つめないと。
会いたい人はみんな遠くにいるよ
でも私はそれを選んだんでしょう?
それは近くを耕すことをおろそかにしているから?
ぐちゃぐちゃだ、もう寝よう。
おやすみなさい、良い夜を。
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